残酷な人々

テレビ番組*1を見ていた。番組の中で小学生が豚を食べる事を目的に飼いはじめ、最終的にどのように処分するかで苦悩している様子が紹介されていた。
そんな過程を見ていて思い出したことがる。酒の席の食べ物の話の中でときより話題に上がることだ。それは「残酷」についてだ。
わたしと似たような年代およびそれ以降の多くの人々は肉と言えば既に調理された物である。せいぜいが精肉されてパックされたものだ。生きた牛、豚、鳥のことではない。料理の中にはそれらが生きていたときの姿が想像できる物がある。それを見て「残酷だ」ともらす人がいる。気持ちはわからないでも無いが、想像できなければ残酷では無いとの考えには賛同できない。
食べ物のほとんど全ては生き物だったはずだ。それらに由来にしない物で口にするものと言えば水と塩以外には思いつかない。それなのに牛タンと麦とろ飯の定食*2と言う食事が生き物を殺してできていると言う事実を感じることなく食べる事のほうが残酷だ。
生きているものを殺すことは残酷であると思う。それでも、そうしなければ生きては行けない。できることならば自分の手で直接手を下したくない。それが見えないどこかで行われているだけだ。
普段は自分で直接手を下していないだけの事であることを認識すべきだろう。自分の食べ物となった命に「いただきます」と感謝する事が残酷な事実とおいしく食べる時間を切り替える魔法の呪文だ。

*1:たけしの日本教育白書/フジテレビ

*2:これを例に上げたのは好きである以外の意味は無い